AM7:00  少し前から目が覚めていたのだが布団の中で夢と現実の間を行ったり来たり。「今日は31日の手取川上流の解禁を前に林道の偵察に行かなければ」と起き出した。いつもと何も変わらない日曜日の朝のはずだった。

PM8:00  番組サンデーモーニングが始まる。昨晩の活躍したサッカーやフィギアスケートなどをみる。

AM9:30  自宅を出発。旧鶴来町に差し掛かったとき信号に捕まる。その時車が風にあおられたような感じがし、少し窓を開けて確認するがさほどの風でなく、「車の調子が悪いのかな?」と思った(この時ラジオでも聞いていたら…)



霧雨が降り続く静かな日だと思っていましたが…。
AM10:30  思った以上に林道に雪が無く(一部は除雪した跡があった)31日の釣行が成功するものと確信し自宅に帰ることに。そういえば昨晩妻に帰りに白峰の町に寄り「とち餅」を買ってくるよう頼まれた事を思い出し少し寄り道を!

AM11:30  帰り道の途中旧鶴来町の釣具屋でミミズを買いに寄った。その時お店の人に「地震の時、何処に居たのですか?」と尋ねられる。「えっ地震?金沢の震度は?震源は?」その時初めて能登沖で大地震が起きた事を知った。輪島の母は無事だろうか?その直後に妻からの「直ぐに戻るように」と電話。


墨絵のような風景が…。その頃実家では…。


PM12:00  家に到着後直ぐに妻と輪島に向かう。輪島の母は無事だが家の中がかなり酷い状態との事。私に連絡が取れないので山崩れにでも遭遇したのかと心配したと叱られる。既に地震発生から2時間が経過していた。親切な友達からのメールで道路状況を把握。能登有料道路は柳田まで。そこから先は国道249号線を進む。輪島に近づくにつれ迷走が始まる。所々道路に亀裂や段差、そして迂回。しかし早い段階で各町内や消防、警察、自治体で道路の安全を見回ったのか、危険な場所では目印があったのには感心した。途中瓦の落下、外壁の崩落、家屋の倒壊を目にした。輪島まであと30km程で渋滞に巻き込まれた。被災地に入る厳しさがこの時思い知らされた。




恐竜の里、旧白峰村




昨日はかなり雨が降ったのでしょうか?





長閑な山里風景




お約束の「とち餅」を買いに少し遠回り



PM4:00  普段だと1時間40分ほどの道のりを4時間掛けて輪島に到着。実家の中では母が一人で後片付けをしていた。狭い家なので台所以外は既に片付いてが、その台所は陶器とガラスの破片でガレ場のような状態だった。2階も何もかも倒れまさに足の踏み場も無い状況であった。幸い断水も無くライフラインも全て整ったいたので、この家での生活を確保するために台所に手を付けた。割れた破片を始末するのに金沢の友人が出発する前に持たせてくれた段ボール箱が非常に役に立った。想像した以上に早く片付き、余震に備え洗った食器は段ボール箱に仕舞い、妻を家に残し母と気になっていたお墓の点検と食料の買出しに出掛けた。想像していたように墓地はかなりの数のお墓が倒れていたが私の父が眠るお墓は少しのズレだけで済んでいて母も一安心。次に向かったスーパーではご飯物が殆ど売り切れでカップ麺とパン等を買って帰宅。(段ボール箱を探したが既になかった。被災地に向かう時は是非段ボール箱を持っていって下さい)

PM6:00
  近所の母の実家の状況を見に行ってた時に震度5弱の余震に遭遇。「このまま倒壊するのでは」と肝を冷やす。

PM7:00  2階の後片付けも終了し夕食をとる。最初のうちは「何処から手を付けていいのか分からない状態だったが、やってみると思っていた以上に早く片付いたので本日中に金沢に帰る事にした。

PM8:00  輪島を出発。至る所に赤色灯を点けたパトカー白バイ等が走っており、改めて被災地にいる事を実感した。

PM11:00  金沢の自宅に到着。今日は本当に長い一日だった。そして一生忘れられない結婚記念日となった。

追伸  メール、掲示板等で多くの方々から心配していただき本当に有難うございました。

 



生まれ育った街が被災地となりました

 

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